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topics長崎・平戸紀行
日時:2005年8月20日(土曜日)雨
    大牟田7:48→鳥栖8:25→長崎10:01 15:17→ハウステンボス16:41⇒(レンタカー)平戸
    19:00(泊り)長崎:大浦天主堂300円 グラバー園:600円 自由亭ダッチコーヒー:
    577円 孔子廟525円 出島資料館:300円 四海楼:炒麺:900円 餃子450円
    26聖人記念館:250円  平戸大橋:100円  
    8月21日(日曜日)晴れ
   平戸8:00⇒宝亀教会8:35⇒紐差教会9:15⇒切支丹資料館9:45⇒山田教会10:50⇒   島の館11:10⇒松浦資料博物館12:40⇒田平教会13:50⇒長崎空港16:45
   切支丹資料館:200円 生月島大橋:600円 島の館:500円 
   松浦資料博物館:500円 レンタカー:9555円  ガソリン:2303円
   平戸オランダ館:12000円(13,212円) 
        

鳥栖 8:25 かもめ 長崎 10:01 大浦天主堂
かもめ 市電 大浦天主堂
出張の度に見ていたかもめに今日は乗って行きます。
室内は豪華、革シート黒
乗客は2名!鹿島市からは有明海を左に見ながら
長崎は今日も雨だった
洒落になら無い土砂降りの雨市電で大浦天主堂前に
市電の1日乗車券を買うべきです、後で気が付きました
何故か雨は小ぶり
観光地化していますが熱心な信者さんを見ると・・・
信者発見 グラバー園 オルト邸?
レリーフ信者発見 グラバー園 オルト邸
明治になって教会に名乗り出た信者のレリーフ
しかし禁教のために沢山の方が明治になっても旅に出ました「踏み絵」に胸が熱くなりました
三菱ハウスより長崎港
ハウスには帆船の模型も一杯あり輝かし頃の日本の商船の写真もあり流石に財閥のお膝元
間違っているかな?
雨の中の散策
三浦 環 グラバー邸 四海楼
三浦 環 グラバー邸 さらうどん
オペラ歌手!
知らなかった
流石に上流階級すべてが違う
自由亭でコーヒータイム
土砂降りの雨になる?
皿うどん?+餃子
美味しかった
混んでいたが割かしすんなり昼食、ここでも土砂降りの雨!
孔子廟 72賢人 72賢人
孔子廟 72賢人 72賢人
雨の中たずねた甲斐が有りました、「えこひいき」の語源が解ります 中国歴代博物館が奥に
これは必見ものです
博物館の中の壁に歴史の記載が有りますがその壮大さに圧倒されます
おらんだ坂 出島商館跡 26聖人
おらんだ坂 出島商館跡 26聖人レリーフ
人気スポット
雨の為まばら、居なかった
只今復元中
交易の資料がある
手前に発掘された出島の石垣がある
殉教者のレリーフ
この外にも大勢の方が殉教している、裏の記念館を是非見て下さい、胸が熱くなります。
夕食 平戸和蘭商館跡 常灯の鼻
平戸夕食 平戸和蘭商館跡 常灯の鼻
15:17分にシーサイドライナーに飛び乗る、佐世保は遠かったハウステンボスでレンタカーに乗り継ぎ19時過ぎ平戸の宿に到着 翌朝の散歩、平戸城はまだ寝ていた、オランダ橋を見て商館跡の巡りました、またもや雨 平戸のHPにあった風景
ザビエル記念教会 教会とお寺の見える坂道 ジャガタラお春
ザビエル記念教会
お寺と教会 ジャガタラお春
朝のミサをしていました。
雨の中、礼拝を表で聞きながら400年前を偲びました
少しピンボケですが雨の中の散歩でした 海岸通の公園に立つ
日本に帰れなかったんでしょうね
オランダ橋 平戸おらんだ館 宝亀教会
オランダ橋(幸橋) 平戸おらんだ館 宝亀教会
石作りの立派な橋
当時の土木技術がしのばれます
昨夜の宿 只今改装中、日曜礼拝中でした、中学生が登校前でしょうか寄っていました、平和!
宝亀教会説明 紐差教会 切支丹資料館
紐差教会 切支丹資料館
明治31年に建てられた木造建築と記されている ホールが2Fにある変わった建物、遠くの田んぼの向こうの高台に立つ、日曜ミサの後の説教?かな信者の方が一杯でした この地区の切支丹弾圧の様子が知れる。この地区に教会が無いのが何とも不思議、逆に弾圧のすさまじさからか?
ここが一番胸に来ました
黒瀬の辻の十字架 山田教会 島の館
黒瀬の辻の十字架
山田教会 島の館
裏にガスパル様のお墓、
聖トマス西のお墓が有る
昼近くの為か信者の方の姿はなく、暑かった 捕鯨の紹介がメイン
後学のために見学
確か関東地方で地震情報がラジオで流れていた
生月島大橋 松浦資料博物館 田平教会
生月島大橋 松浦資料博物館 田平教会
生月島道の駅より橋を望む
元藩主の屋敷跡を博物館に
流石です内容はもう時代物
ここの喫茶で抹茶アイスを注文して平戸の街を見納めした
今回の最後の訪問、国道から寄り道になる、レンガ造りの教会、信者の寄付と労力で出来たそうです
九州への出張の時にふと、切支丹弾圧を思い出し、昔読んだ遠藤周作先生の「沈黙」の中でなぜキリスト教の方がそこまで自己犠牲出来たのか、その地を訪ねて来ました。再度「沈黙」を読み返してそこには言葉では言い表せない下積みの者の苦しみが底辺にあり死とはその苦しみを解き放つ全てだったのではないでしょうか、しかしそれ以上に激しい弾圧により根獅子地区には今もって教会が出来ないのは何故か。その直ぐ近くには形こそ変えた隠切支丹が居たのに凡人の私には解りません。まだこの旅は続くのでしょうか、 
はい次へつづきます。

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